こんにちは。へんてこ不動産調査室です。
当ブログは、筆者が過去に実際に取扱った、奇怪な土地形態、奇天烈な権利関係、不可思議な売却経緯をもった「へんてこ不動産」をプロの不動産屋の視点から紹介、解説していくブログです。
さて、今回は・・・。
業界の闇!? 仲介手数料は不当な料金か
不動産を売買する時、あるいは貸し借りする時にかかる仲介手数料は、本当に支払う価値のあるお金であろうか。
売買であれば取引価格の3%+6万円、賃貸であれば家賃の1か月分かかるのが通常である。例えば3,000万円の物件を購入する場合で考えれば90万円+6万円+消費税で105万6千円が仲介手数料である。これが6,000万円の物件になるとサービスは同じでも手数料は2倍になる。不動産屋が果たしてその金額に見合う仕事をしているのか、疑問に感じる人は多いのではないだろうか。
もしかして悪徳?
仲介業者の仕事とは
そもそも仲介業者の仕事は何かと言えば、売りたい人(貸したい人)と買いたい人(借りたい人)の間を取り持つのが仕事である。売りたい人(貸したい)から物件を集め、買いたい人(借りたい人)に紹介し、その成約報酬として仲介手数料を得ている。
一般にイメージする不動産営業の業務といえば、物件情報をネットに掲載したりチラシを配り、問い合わせが来れば実際に案内する。そして顧客が気に入れば契約書などの書類を取り交わし、入居までのサポートをする、といったところだろう。
正しくその通りなのだが、実のところ今や物件を直接案内する必要すらなく、顧客は家にいながらリモート内見でき、契約行為すらもすでに電子契約が可能になっている(2022年5月18日より賃貸・売買ともに全面解禁)。そもそもこれほど情報化が進んだ現代において、営業マンが専門的に持っている知識や情報などタカが知れている。売りたい人と買いたい人、あるいは貸したい人と借りたい人が直接コンタクトをとれる仕組みなど探せばいくらでもあり、これからもっと増えていくに違いない。そうなれば仲介業者の出番そのものがなくなるわけで、今やその役割は大きく見直されつつある。
不動産営業マンに存在価値はあるか
こうなるとますます仲介業者の存在価値そのものに疑問を感じざるをえない。少なくとも「営業マン」としての不動産屋はもはや不要ではないのか。
実のところ不動産業界において「営業マン不要論」はかなり以前から一定数存在している。少なくとも筆者がこの業界に入った20年前にはすでに耳にしていた。ちょっと意外に思われるかもしれないが、筆者の経験上、こうした不要論は業界の外から叫ばれるというより、ごく内輪の、しかも営業マン同士の飲みの席などで自虐的に話題になることが多かった。それもある程度仕事に慣れてきた中堅と呼ばれる営業マン同士が集まると、決まって自嘲的な愚痴の言い合いが始まったものである。
思うに、ある程度自身が行っている業務を客観視できるようになると、自分の仕事と顧客が支払う対価になんとなく不釣り合いを感じる時がある。筆者においては、最初の数年は成約を獲ることがとにかく嬉しく、周りのライバル達との競争にひたすら心を砕いたものだが、そのうちに成約すればするほど次第に罪悪感のようなものが芽生えてきて、自分のやっていることは顧客の支払う報酬に見合った仕事だろうか、と自問自答し始めるようになった。成績が上がって会社からは褒められたが、その都度後ろめたさが魚の骨のように喉に引っ掛かるようになり、いつの間にか親しい同僚を相手に「営業マンはいる価値がない」というような愚痴をこぼすようになっていたのである。
不動産営業は割りに合わない仕事
誤解のないように言っておくが、決して顧客を騙して売りつけていたわけではない。ましてや不動産営業は決して楽な仕事でもない。あの手この手で集客し、ようやく顧客に巡り合えたところで何件案内しても成約に至らなければ一円にもならず、無駄骨に終わることも多い。
さらに言えば、無事に成約できて手数料が入ったとしても、それはあくまで会社の利益であって、人件費や広告費を差し引いた上で営業マン個人へ還元される分などはごく僅かであり、それにも関わらずノルマが達成できなければ、上司から問答無用で詰められる。一部のトップ営業マンを除いて、ほとんどの営業マンが毎月の成約ノルマをクリアすることに日々追われながらやっとの思いで暮らしているのである。
罪悪感の正体は何か
そのような常にお尻に火の付いた状況にも関わらず、喉の奥にチクチクと刺さるこの罪悪感は一体何なのか。当時筆者なりに様々な分析を試みたものである。
例えば仕事に慣れて業務効率が上がるほど、1件の顧客に費やす時間と労力が相対的に半減し、その分顧客から得る報酬と比較して不均衡を感じるようになるのではないだろうか。あるいは、苦労して決まる顧客もいれば、何も労せず即決する顧客もおり、それでも報酬は同じというところに不合理を感じるのではないだろうか。などと色々な理由を考えるのだが、どれも本質ではないような気がした。
あらかじめ言っておくが、筆者がことさらに正義漢ぶっていたわけではなく、こうした仕事に対する悩みは誰にでもあることで、実際に成績は悪くないにも関わらず仕事に対するやりがいを見失ってしまい、業界を去っていく営業マンは少なくない。そしてこれは不動産営業に限ったことではないであろう。
転機となった出会い
筆者もご多分に漏れず、一丁前に悶々とした日々を過ごしていた頃、あるお客様との出会いが転機のきっかけとなった。T様というある大手メーカーに勤めるバツイチの単身男性で、当時の筆者より20歳以上も年上のお客様である。数年前に奥様から逃げられ、それ以来会社の寮生活を送ってきたが、若い社員に部屋を譲るようにそれとなく上司から言われてしまい、これを機に中古マンションの購入を検討していた。
とても朴訥とした真面目な人柄で、希望条件を聞いていても決して無理をしない安全志向の強いお客様だった。決断に時間がかかりそうと思いながらも、こうした顧客は信用さえ勝ち取っておけば逃げることがなくいずれ成約できると踏んで、とにかく丁寧に案内を繰り返していた。歳は離れていたがT様とは不思議に馬が合い、案内する回数が増えれば自然と人となりが見えてくるものである。仕事と趣味(T様はプラモデルと将棋に凝っていた)に没頭するあまり妻に愛想を尽かされ、独身寮に戻ったものの若い後輩達からは白い目で見られ、それでも数年間粘ったがいよいよ会社からもお荷物扱いされて寮を出ることになったという経緯からして、家探し自体にそもそも前向きではなく、仕方なくという感が強かった。加えてもともと寡黙で大人しい性格のT様の気持ちを少しでも盛り上げながら苦労して案内し、ようやく1件の候補物件が見つかったのである。
家探しのもう一つの目的
条件は揃っていたが決めかねていた。T様の希望条件はそれほど厳しいものではなかったが、単身ながらに2LDKを探していた。というのもT様には別れた奥さんとの間に高校1年生になる娘さんがいたのであるが、狭い独身寮から出る代わりに娘さんが泊まりに来れる部屋を用意することが唯一と言っていい家探しのポジティブな目的となっていた。しかしそのことは娘さんには黙ったまま家探しを進めていた。それどころかここ1,2年は連絡も途絶えがちで、ここにきて娘さんに話すべきかどうか迷っていたのである。
筆者にとっては、ここまでこぎ着けて今さら娘さんの身勝手な意見で条件を変えられてはたまったものではない。購入後にサプライズとして喜ばせてあげてはどうかなどと適当な理由を並べると、T様もその気になって申込書にサインをもらうことに成功した。
娘の気持ち
契約を来週末に行うことを約束してT様と別れたその日の夜、ふと会ったこともないT様の娘さんのことを考えると、次第に暗い気持ちになった。高校1年の年頃の女の子が、どう贔屓目に見ても冴えない父親から唐突にお前の部屋を用意してあるから遊びに来ないかと誘われて喜ぶだろうか。むしろそんな下心を隠してマンションまで買い、いそいそと娘の機嫌を取りに来る父親に対して嫌気が差すのが落ちではないか。
そんな考えが浮かんでから、T様に娘さんとの相談を勧めるべきか随分悩んだ。やぶ蛇となって余計な面倒が起こる可能性もある。だが黙ってもいられないような気がした。
翌日T様に会って、やはり契約前に娘さんにも物件を見てもらう方が良いと話した。せめて電話で話しておくことが必要だと言った。しかし、それと同時に予め伝えておかなければならないことがあった。
契約をキャンセルしても仲介手数料は発生する
ご存じない方も多いと思うが、仲介手数料の発生は契約成立時点ではなく、申込み時点なのである。買い手から申込書にサインをもらい、売り手から了承を得た時点で斡旋は成立しており、仲介手数料の請求権は認められている。今回のケースで言えば、申込みは昨日の時点で手続きが完了しており、諸条件等も含めて売主に承諾をもらっていた。つまりその時点で仲介業務は成立しており、これから娘に相談してみてやっぱり契約を取りやめたいとなった場合も3%+6万円の仲介手数料は請求する旨を説明した。
T様は嫌な顔をした。というより腑に落ちないという感じだった。当然の反応であろう。目の前の営業マンは、契約してもいないのに、申込書を盾に多額の手数料の約束を迫った上、それでも娘さんとはよく話し合って決めるべきだなどと熱弁しているのである。T様自身、これ以上家探しに余計な手間は掛けたくないし、何より娘と話すのは久しぶりで、マンションの購入自体賛成してくれるか分からない。むしろ、今さら私には関係ないときっぱり引導を渡される可能性もある。T様はそれを恐れていた。
いざ娘さんと対面
翌日T様から連絡があり、娘と電話で話すことができ、一緒に物件を見に来ることになったという。契約の前日だったが、売主にも了承を得てもう一度見学させてもらった。
娘さんと一緒に現れたT様はどことなく緊張して会話もぎこちなかったが、表情は明るかった。どことなくボーっとした印象のT様と引き換え利発そうな娘さんで、T様がぽつりぽつりと説明するように話しかけながら部屋の中を案内し、二つある洋室は自分の寝室と、もう一つは友達が来ても泊まれる用の客室と説明した。それを聞いた娘さんは、「どうせお父さんのガラクタ部屋になるだけでしょ」と明るく笑った。
一通り部屋を見て回った後にT様が娘さんにどう思うか尋ねると、お父さんが気に入ったのなら口出しするつもりはないが、強いて言えばこんなに広い部屋は贅沢すぎるのではと感想を述べた。どうせろくに掃除もしないのだから余計な部屋は省いて、その分駅から近い物件なら自分も遊びに来やすいと言った。この一言でT様の心は決まった。
契約はキャンセルでもかけられた感謝の言葉
先に娘さんを帰してT様と二人になった時、何より先に感謝の言葉をかけられた。「君のおかげで娘と話すきっかけができた。娘の言う通り自分は少し背伸びしていた。売主さんには申し訳ないが、自分の身の丈に合った物件を改めて探したい。そしてそれをまた君にお願いしたい。売主さんにはきちんとお詫びして明日の契約は取りやめ、おたくへの仲介手数料も払う」と言ってくれた。
結果として成約には至らず、T様にとっては余計な支払いだったにも関わらず、これは自分にとっての勉強代と言った。そして筆者自身も、結果がどうあれ自分の提案に喜んでくれるお客様がいることを実感できた瞬間であり、営業マンとしての存在価値を認められたような気がした。
新たな騒動が勃発
今度は少し予算を下げて、コンパクトな物件を探すことになった。ちょうどいいサイズの物件がなかなか見つからず時間がかかったが、T様は絶大な信頼を寄せてくれていた。筆者は筆者で、今度こそ100%気に入ってもらえる物件を紹介すべく、いろいろな業者を回って情報を集めて、ようやくこれはという駅近の1LDKを提案した。T様は一も二もなく気に入り、すんなりと購入契約となった。もちろんこの時も仲介手数料は正規で支払ってもらった。
ところがT様との騒動はこれに留まらなかった。無事に引渡しが済んで引越しの準備をしているはずのT様から突然相談があると連絡を受けた。会いに行ってみると、長年勤めた会社からリストラの通知を受け取ったというのである。なんというタイミングの悪さであろうか。驚いてどうするつもりか尋ねると、この際受け入れるつもりであるという。ちょうど田舎の母親が体調を崩しており、田舎に戻って面倒をみることにしようと思うというのである。ついては購入したマンションを賃貸に出したいが借りてくれる人を探してもらえないかという相談であった。
せっかく購入した家に一度も住むことなく
確かに賃貸するにも悪くない条件の物件ではあったが、せっかく気に入ってもらった部屋に一度も住んでもらえないのは営業として非常に残念な気持ちがした。しかし事情が事情である。急いで賃貸募集を手伝うこととなったが、T様とのこれまでの経緯を考えるとなんともやりきれない思いが残った。もともと自ら進んで家探しを始めたお客様ではないのである。すったもんだを乗り越えてここまで来たが、自分がしてきた営業は果たしてT様のためになっているのか、自分自身に責任を感じていた。T様との別れ際、こんなことになって申し訳ないと頭を下げた時、T様は「あなたは何も悪くない、むしろ感謝している」と明るく励ましてくれた。
入居者探しの結末
募集条件を相談しながら入居者探しの準備が始まった。
ところでこれは全くの偶然なのだが、T様が購入した物件は筆者の当時勤めていた不動産会社から程近い場所にあった。そして更なるめぐり合わせとして、当時独身だった筆者はアパートで一人暮らしをしていたが、ちょうど自分の借りているアパートの更新時期が近づいていることに気が付いた。T様の物件は通勤が近くなる上、部屋の広さやグレード感も筆者が自分で借りるにはもってこいの条件だったのだ。そこで思い切って、筆者自身に貸してもらえないかとT様にお願いしてみたところ、驚きと共に喜んで迎えてくれた。
唯一出された条件は、いずれ母親の介護が終われば戻ってきて自分で住むつもりであるから、その時が来たら明け渡してほしいということだった。筆者もそれを承諾して、それ以来随分と長くその物件にお世話になったのである。
エピローグ
それから7年後、T様はお母様の最期を看取られ、田舎の実家を引き払ってこちらに戻って来ることになった。その時筆者はといえば、すでに結婚して妻のお腹に子供がいた為、タイミングの良いことにそろそろ引越しを考えていた。さらにT様から借りているマンションのごく近所の物件に決めた為、T様はそれについても大変喜んでくれた。そして今でもご近所同士としてお付き合いしている間柄である。
筆者にとってかけがえのないお客様であり、人と人とが接するからこそ、顧客と営業マンの関係を超えて不思議な縁が生まれるものだと教えてくれた大切な友人である。
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